高齢者の増加にともない、介護施設および介護職員数は年々増加しています。日々多くの介護職員が介護の現場に携わる中で、近年では介護作業中の労働災害、いわゆる「労災」が後をたちません。
労災事故の中には、想像もつかない重い怪我や、最悪の場合、死亡事故に見舞われるケースもあります。また業務上の事故が労災認定された場合、介護施設側は様々なペナルティやリスクを負うことになります。そのため、介護施設事業者は、普段から職場環境の整備に取り組み、労災事故の削減に取り組むことが重要です。
本記事では、介護施設で労災事故が起きてしまう要因、それにより発生する事業へのリスク、裁判事例に関して、介護専門弁護士が解説します。
介護施設で起きる労働災害(労災)とは?
そもそも労働災害(労災)とは、労働者が業務上で負傷・疾病・死亡などの死傷病に見舞われることです。労働災害というと、工場で作業機械に巻き込まれることや、建設現場の転落事故などをイメージされる方も多いかもしれません。
しかし、身体的な怪我だけではなく、過重労働やセクハラ・パワハラなどによる過労死・精神障害なども労災と認定される場合もあります。
まず、ここで言う「労働者」という言葉ですが、厚生労働省が定めるところによれば、これは「職業の種類を問わず、事業に使用される者で、賃金を支払われる者をいい、 労働者であればアルバイトやパートタイマー等の雇用形態」であれば労働者と言えます。契約が「委託」や「請負」であっても、労災の対象となる場合があります。
続いて介護業界における労災の発生状況について解説します。
介護業界の労災の発生状況
厚生労働省の労働者死傷病報告(令和3年9月29日)によると、介護現場の労災発生件数は年間44,582人となっており、その内休業4日以上の労災は10,045名にのぼります(令和元年労働者私傷病報告より)。全国の介護職員数は200万人ほどですので、約100人に2人は労災認定を受けていることになります。
介護サービス系統別では、「施設系」の介護サービスが最も労災発生件数が多く、次いで「短期入所系」「通所系」の順となっています。事故の型別では、「転倒」「動作の反動、無理な動作」による事故が多くなっており、どのサービス系統でも6割以上を占めています。
このことから、介護業界での労災事故は決して珍しいことではなく、むしろ常に事故と隣合わせであることがわかります。実際に、介護施設数・介護職員数は年々増加していますが、それに比例して労災認定数も増加しています。介護サービス事業者は、労災を起こさないための対策に取り組む必要があります。
介護業界で労働災害(労災)が発生する要因
介護現場で労災が多発する大きな要因にはどういったものがあるでしょうか。具体的な発生要因について解説します。
身体的な要因
介護は利用者の身体を持ち上げ、移動させるという肉体労働の側面があり、無理な姿勢で重い利用者を持ち上げようとして腰痛になるといったケースが典型的です。また、施設内外で転倒することも多くみられますが、転倒しかけた利用者を支えようとして一緒に転んでしまう等、利用者を守ろうとして犠牲になるケースも多々みられます。
先の厚労省報告によると、身体的な要因には、転倒、動作の反動・無理な動作、交通事故、墜落・転落などが挙げられます。転倒する要因は、滑り(38%)、躓き(37%)、踏み外し(11%)となっています。
また転倒の場所は、屋内(58%)、屋外(36%)と、屋内での事故が多いことがわかります。施設内の浴室や脱衣所、段差など、転倒につながりやすい箇所には特に注意が必要です。
精神的な要因
介護は肉体労働のみならず感情労働(相手の精神状態を安定させるため、自身の精神と感情の協調や抑制が必要となる労働)の側面もあり、メンタル面で疲れやすいという特徴があります。
また、利用者やその家族による悪質なクレームやハラスメント、認知症利用者による暴力やセクハラといった被害を受け、うつ病になり休職に追い込まれてしまう職員も多数存在します。その他、人手不足により一人あたりの労働時間が長期化する傾向にあり、生活リズムが崩れ不眠状態になる職員もいます。
そのような要因により、昨今では、特に介護現場における精神障害による労災請求件数が増加しており、その他の業種と比べても件数が多いことが特徴です。
下記の表は、厚生労働省が調査した精神障害の労災請求件数を業種別で表したものです。医療現場に携わる医療業界や、長距離ドライバーなどの道路貨物運送業に比べて、労災請求件数が多いことがわかります。
引用:厚生労働省|社会福祉・介護事業における精神障害の労災請求状況
人手不足による要因
日本は少子高齢化が急速に進んでおり、将来的な労働力不足が指摘されています。介護業界においては高齢者人口が増えると同時に、介護職員数が必要となるため、人材不足はより深刻です。
厚生労働省が令和3年7月に公表した、第8期介護保険事業計画に基づく介護職員の必要人数によると、2023年度は約22万人、2025年度には約32万人、さらに2040年度には約69万人の介護職員を増やす必要があると予測されています。
引用:厚生労働省|第8期介護保険事業計画に基づく介護職員の必要数について
人手不足の問題は介護業界特有の問題ではありません。日本経済全体における慢性的な問題となってきているため、採用活動を行ったとしてもなかなか採用に至らないというケースがほとんどです。仮に採用できたとしても定着率が悪いと現場は常に疲弊したままとなります。慢性的な人手不足の悪影響は全て介護現場で働く職員へ及びます。
人材不足が続けば、介護職員一人あたりの業務負担が増すため、身体的・精神的な労災が発生しやすくなります。また介護職員の高齢化や、経験が浅い介護職員が労災を発生しやすいことも問題として挙げられます。
下記の図は災害発生状況を年齢別、経験期間別に示したものです。年齢別では、50歳以上の介護職員が半数以上を占めており、経験期間別では3年未満の職員が半数近くを占めていることがわかります。
引用:厚生労働省|社会福祉・介護事業における労働災害の発生状況
採用難易度の高まりによって、介護事業者では高齢者や未経験層にまで採用対象を広げています。しかし、入職後の十分な教育やフォローが行き届いていないことが問題として考えられます。
介護施設で労働認定されるとどうなるのか?
介護職員が業務上に死傷に見舞われてしまい、労災として認定されると、雇用元である事業者にはどのようなリスクや損失があるでしょうか。
労災という言葉は知られていますが、労災認定されることによる影響はあまり知られていません。以下の6つが挙げられますが、いずれも事業所側にとってはデメリット、リスクでしかありません。経営における大きなリスクになり得るため、ぜひともこの機会にご認識ください。
- 介護職員から損害賠償請求を受ける可能性がある
- 労災にあった介護職員の解雇が制限される
- 労災保険料が上がるケースがある
- 行政処分や刑事罰を受ける可能性がある
- 報道により社会批判を受ける可能性がある
以下、1つずつ解説していきます。
介護職員から損害賠償請求を受ける可能性がある
労災認定により介護職員から損害賠償の請求を受け、裁判所で事業者が賠償を命じられるケースが少なくありません(後述の 介護現場における労災による裁判例 参照)。たとえば腰痛を発症しながら労働させ続け、後遺障害になった場合や、パワハラ・セクハラによる精神疾患、過重労働による突然死によって、遺族から安全衛生管理の責任を問われ、提訴されることがあります。
労災にあった介護職員の解雇が制限される
労災認定された介護職員については法律上解雇が制限されます。労働基準法第19条では次のように定めています。
使用者は、労働者が業務上負傷し、又は疾病にかかり療養のために休業する期間及びその後30日間並びに産前産後の女性が第65条の規定によつて休業する期間及びその後30日間は、解雇してはならない。
そのため、介護職員が治療のために休む期間が長引いても、解雇はできません。休職期間でも社会保険料は発生するため、休職が長引くと労働者が自らの負担分を滞納するといったトラブルが起きるリスクがあります。
労災保険料が上がるケースがある
労災保険は、事業所において発生した労働災害の割合に応じて、保険率や保険料を増減させ、保険料の負担を平等にする「メリット制」という仕組を採用しています。
労災保険のメリット制では、過去3年間の労災保険の支払額に応じて、次年度の労災保険料が増減します。そのため、労災認定を受けることで次年度以降の労災保険料が最大で40%増額となる可能性もあります。
行政処分や刑事罰を受ける可能性ある
介護職員が業務中の交通事故で死亡したり、転倒などで重度の障害を負うような労災事故が起きた場合は、労働基準監督署から行政指導等の処分を受ける可能性があります。また、死亡事故などの重大な事故の場合は、事業者や事業主、施設管理者などに刑事罰(業務上過失致死傷罪)が科されることもあります。
特に労働安全衛生法違反による罰金が科されるケースが少なくありません。労働安全衛生法では、労働者の危険を防ぐために事業主が必要な措置をとることを定めています。労働安全法違反に該当する場合は、6カ月以下の懲役または50万円以下の罰金が科されます。
報道により社会批判を受ける可能性がある
死亡事故や重大事故が発生した場合は、新聞・テレビなどで報道されて社会的な批判を受ける可能性があります。近年はSNSやネットニュースでのクチコミによる風評被害の影響力は非常に大きなものとなっています。
介護職員のモチベーション低下による離職、新規求職者の断絶、利用者離れによる収益減少など、経営そのものが危ぶまれます。
労災は「百害あって一利なし」
ここまで介護現場における労災問題の基本的な知識に関してお伝えしました。
当然のことですが、労災は従業員、事業所双方にとってデメリットしかありません。
労災に遭われた従業員の労災認定がなされても、それは救済されただけの話です。本来は労災に遭わず、心身共に健康で安全に働けることが幸せなはずです。
事業者にとっては、従業員に問題無く働いていただけることで安定的な介護サービスを維持できると末永く施設を運営することができます。
労災が発生しないことを祈るだけではなく、労災が発生しにくい環境を作っていくことが大切です。
ここまでは介護現場における労災の基礎知識をお伝えしました。労災が発生しにくい事業所になるには、今からできることとして具体的にどのようなことがあるのか、そして、実際に発生した労災における裁判事例を、こちらのコラムにてお伝えしています。ぜひご覧ください。
介護・福祉専門の弁護士によるサポート
「弁護士法人おかげさま」は、10年以上にわたって介護・福祉業界に特化してきた経験と実績がございます。大切な現場職員の方々が労災に遭わないよう、或いは労災が起きてしまった後を想定し、次のようなサービスを提供できます。
介護・福祉業界の弁護士を事業所経営のサポーターとして活用することで、施設において発生する様々なトラブル、不安、突発的な事故、法改正により求められる対応などに対し、安心して事業所運営を行うことができます。様々なサポートが可能ですが、労災に関する具体的なサポート内容は以下のようになります。
サポート① メンタルヘルスの阻害要因の除去
介護職員が利用者や家族からのハラスメントに悩まされているような場合、ストレスチェックによって精神面での不調の状況を確認できますが、解決させることはできません。重要なのはその当事者にハラスメントを止めるよう働きかけ、場合によっては事業所からの契約解除も必要になります。そのような対応のアドバイスや、代行を致します。
サポート② 労災後の休職に関するアドバイス
労災による傷病が長引くと、休職しなかなか復職できないといった問題に発展することがあります。どのような条件で復帰させるべきか等につき的確なアドバイスを致します。
サポート③ 内部研修の実施
メンタルヘルス対策が主となりますが、パワハラやカスタマーハラスメント対策に関する内部研修、労災の理解を促進する研修等を、法人や事業所の特徴に合わせカスタマイズしてご提供できます。
サポート④ 訴訟対応
残念ながら労災により職員に死傷が実際に起きてしまった場合等、法人の代理人として交渉や訴訟への対応を代行できます。
これらのサポートを継続的に、タイムリーにご提供できる顧問契約を、是非ご検討ください。