代表挨拶

ご挨拶

弁護士法人おかげさまのホームページにお越しいただき、ありがとうございます。
介護弁護士の外岡潤(そとおかじゅん)と申します。

私は、介護・福祉、および関連する医療業界におけるトラブル解決の専門家として活動する、「介護弁護士」です。
当サイトは主に、ご利用者やそのご家族との関係、或いは現場で働く職員等との人間関係で悩む介護施設・事業所の方向けに作成されました。本サイトが少しでも、皆様の問題解決のお役に立てば幸いです。

介護・福祉の弁護士とは?

ヘルプマン1はじめに、なぜ私が介護・福祉のトラブルを扱う弁護士となったのか、その経緯についてお話させてください。
私はそれまで、いわゆる介護に関しては何も知らず、経験もありませんでした。

私が初めにこの業界に興味を持ったきっかけは、実は「ヘルプマン!」(くさか里樹著・講談社)という漫画でした。
それまで「介護」というと、何となく穏やかで上品なお爺ちゃん、お婆ちゃんが平和に過ごす…といった偏ったイメージしかなかったのですが、この漫画ではきれいごとは一切抜きの、ときに壮絶な介護の現場がストレートに描かれていました。

突然認知症になった親を受け止めきれず、虐待に走ってしまう息子。
便を家じゅうになすり付け、使い終えた食器を箪笥にしまい込む年老いた母…

ヘルプマン2そんな家庭崩壊の危機にさらされた家族の間に、主人公である若いヘルパー(恩田百太郎)は果敢に飛び込んでいき、体当たりでお互いの誤解を解き、お爺ちゃん、お婆ちゃんにとって本当の幸せを模索し代弁してみせるのです。
その情熱、熱い思いに魂を揺さぶられるような感動を覚えると同時に、作者が提示する「来るべき老いと付き合うか。家族の、人間のあるべき姿とは何か。」という根源的な問いに考え込まざるを得ませんでした。
「人は誰しも年を取り、周りの力を借りなければ生きていけなくなる。」

この厳然たる事実を突きつけられ、私はこの与えられた人生で何をすべきか、何がしたいのかを深く考えました。
その中で、「実際の介護の現場はどのようなものなのだろう?」という好奇心が膨らみ、介護の業界に法律の専門家として関わりたいという思いが強くなっていきました。
その様な経緯で、平成21年に介護・福祉の問題解決を扱う法律事務所を開設しました。

ヘルパー2級を取得

「自分にできることは何でもやろう」とのという思いから、まずはヘルパー2級の講座を通学で受講し資格を取りました。

実際に地元巣鴨のヘルパーステーションに登録し、訪問介護の仕事をしたこともあります。
また老人ホームを訪ね、特技のマジックや日舞のショーをご披露したりする内に、徐々に仕事にも恵まれるようになりました。

全国の介護施設、障害者施設を見て回る中で、それら施設の「介護・福祉の現場」に共通する大切なものが一つあることに気付きました。

それは、「調和の空気」です。

当初、介護施設に対して「単なるお年寄りの共同生活の場」という程度の認識しか持っていなかった私にとって、それは驚きの発見であり、強く心を揺さぶられる経験でした。
介護・福祉の業界は、私が思っていた以上に「感謝の心、思いやり、気遣い、労り、協調」といった、最も根源的な人間愛に溢れた業界だったのです。

その一方で・・・

その一方でご利用者のご家族からは、「母が入所先の施設で転倒し骨折した」という、施設とのトラブルのご相談が多く寄せられました。
ですがその大半は、事故を起こしたことを責める意図はなく、ただ事故後の施設側の不誠実な態度に傷つき、許せないというものだったのです。

普段は思いやりと感謝に満ちた調和の業界が、偶然発生する事故により一瞬のうちに台無しになってしまう。

私が感じた理想の空気は実に儚く、放っておけばすぐに消滅してしまう「有り難い」ものであることが良く分かりました。

多種多様な相談を受け、ときに裁判を経験する中で、私が目指すべき一つの方向性が固まっていきました。

それは、和の弁護士になるということです。

介護の業界に争いごとは似合わない

「どんな屈強な敵にも負けない、力強い頼れる弁護士」。

それが世間一般でイメージされる「よい弁護士」の姿であり、多くの弁護士がそのような「たたかう弁護士・負けずに主張する弁護士」を目指しているのかもしれません。

これは私見に過ぎませんが、少なくとも介護・福祉の業界では、そのような「争い」「闘い」は根本から馴染まず、むしろ忌避される考えなのではないかと思うのです。

それは、一重にこの業界の仕事に(語弊があるかもしれませんが)、「弱者を救う」という面があるからではないかと思います。
目の前に一人で歩けないお年寄りがよろよろしていたら、思わず体が動いて支えてしまう。

「有難う」という心からの感謝の言葉を聞くだけで疲れも吹き飛んでしまう。

そんな、困った人を助けて笑顔になってもらうことが根っから好きな人が、介護という職業を選択しているのではないか。
偏見かもしれませんが、介護の業界に集う人達は、そのような、純粋に人助けが好きで、争いを好まない方が多いのではないかと思うのです。

それは、うがった見方をすれば、「正直者で気が弱いお人好し」などといわれる存在であり、相手に強く出られるとつい従ってしまい、不当な要求に振り回されてしまうという弱点でもあるのかもしれません。
ですが私は、そうした性向は、ともすれば「勝ち組・負け組」を分けたがる殺伐としがちなこの現代社会において、極めて貴重な心の在り方、本来守らなければならない人としての尊い在り方だと思うのです。

本当に必要なことは平和的解決であり「予防」である

「正直者は馬鹿をみる」とは世間ではもうお馴染のフレーズですが、本当にそんな世の中でいいのでしょうか。

正直で誠実で、周囲との和を尊重して自分は一歩引く様な人は、出し抜かれるだけで結局損をするだけなのでしょうか。
そんなぎすぎすとした世間では、到底人間らしい生活は成り立たないと思います。

少なくとも自分は、「人を見たら泥棒と思え」と、四六時中身構えなければならないような社会で暮らしたくはありません。
特にチームワーク・調和が不可欠な介護の業界においては、皆で思いを一つにして目の前の高齢者の為に尽くさなければ、絶対にやっていくことはできないのだろうと思います。

食事を済ませた直後に、「ご飯まだかね」と尋ねる認知症のお年寄りには「はい、お待たせしました」と言いお茶を出す等して落ち着かせ、すかさず他の職員が「散歩に行きましょう」と声を掛け目先を変えさせる。

高齢の施設入居者が慣れない環境下で不穏になり、握り拳で向ってきたとしても、慌てずとっさの機転で危険を回避し、時には笑いに繋げてしまい、場の雰囲気を和らげる-

「ヘルプマン!」でも描かれていますが、介護の現場は正に「アート」としか評し様の無い、極めて高度なチームプレイ、コミュニケーション技術の集積だったのです。
経験に裏打ちされた、しなやかでクレバーな技術の数々にただ圧倒されました。

しかしその一方で、いざ事故が起きれば頑なに責任を否定し、家族に対して事故の説明もせず、謝罪の言葉すら口にしないという施設・事業所があることも事実です。

それは本心から「責任はない」と信じていることもあれば、「下手に謝って、高額の賠償責任を課せられたら大変だ」という保身の気持ちがそうさせていることもあるかもしれません。

ですが法的な見解では、事故後に単に謝罪するだけでは、賠償責任が生じることは無いのです。それにも拘わらず施設は頑として謝らず、家族が業を煮やし泥沼の法廷闘争に発展する…そんな悲しいすれ違いを何度も目の当たりにしてきました

その様な体験を重ねる中で、私はこの業界には調和を維持するための弁護士として関わっていかなければならないと、改めて決意したのでした。

お互いが傷つくだけの不毛な諍いは、これ以上増やしてはならないないのです。

調和を維持するための弁護士として

具体的には、介護の現場で争い事等があれば、極力これを裁判まで持ち込まず、対話による平和的解決を目指すということです。

当事者同士が直接会い、思うところを率直に話し合うことが何より大切です。
更に推し進めると、契約書の説明や普段からのコミニュケーションを促進することで、誤解の素を無くしトラブルを未然に防止する、いわゆる「予防法務」が一番重要な活動となります。

医療の業界でいえば、病気がこじれてから大手術(=裁判)を敢行するよりも、日頃の健康診断(予防法務)で早期に病の芽を摘む方が、余程効率的でその人の心身にも良い、ということがいえるでしょう。

和風の「和」は「平和」の和

私が手品ショーなどで和服を着ているのも、偶然の経緯ではありますが、今振り返ってみると不思議な縁、符丁を感じます。

私は学生時代、手品サークルに入り手品を始め、たまたま「和の手品」、「和妻」と出会いました。それ以来いわゆる日本の伝統文化、和の文化に魅了され、また不思議と縁があり、日舞や三味線、茶道等の稽古事を経験してきたのですが、今になってみると私が弁護士になってからも和服を着ているのは、「和の弁護士」たれという、天啓に近い様な意味合いがあったのかもしれません。

現在「和服」「和食」など、「和」という単語には「日本の」という意味がありますが、本来はその文字の成り立ちからして、「調和」「平和」など、いわゆるハーモニーを表す言葉だったそうです。

大昔、日本は強大国である中国から辺境国の一つとみなされ、「倭の国」と呼ばれていました。この「倭」という言葉自体には、諸説あるのですが、「平和」等といった意味合いはありませんでした。それがいつしか、日本人自身が自国を指して「和」という漢字を使うようになったのだそうです。

私は歴史学者では無いのでここで確証を示すことはできませんが、もしこの話が本当だとすれば、私達日本人の祖先は、民族のアイデンティティとして自らの意思により「平和の民」たることを選択し、以って自認したということになります。
少なくとも、日本を表す「和」と、平和、調和の「和」は無関係では無いのです。そうであるならば、畢竟「和服」とは平和の象徴としての衣服とも言い得るのでしょう。

私はこの来歴を初めて聞いたとき、言い様のない衝撃を受け、大変このストーリーが気に入りました。
また同時に、改めて古来の祖先に対する畏敬の念を強め、特に現代社会において、このしなやかでありかつ強靭なスピリットを、絶やすことなく次世代に継承していくことの重要性を再認識することができました。

以来、単なる日本文化好き・趣味の一環としてではなく、平和の象徴として、その理念を伝える手段として和の文化を認識する様になったのです。
私の知る限りでは、まだまだ介護・福祉の業界に精通した弁護士は、日本には少ない様です。

僭越ではありますが、もし私が介護・福祉系専門弁護士のさきがけであるならば、決して紛争を煽る存在になってはならない、まして和の文化を手掛けるのであれば、その本質を我がものとすべく取り組むべきであり、トラブルシューターであるだけでなく、トラブルのpreventer(予防者)でなければならないと思っています。

そのような矜持の念と自戒をもって、これからも精進して参ります。

お人好しが報われる世の中を!

介護現場における「平和」を創造し維持する活動を通じて、いつか「お人好しは報われ、正直者は天国をみる」が常識となるような世間を創りたい。これが当事務所の目標であり理念となります。どうぞ宜しくお願いします。

事務所の名前の由来

事務所マスコットキャラクター「おかげ地蔵」

当事務所の名前は、「おかげさま」です。よく「ユニークだ」「変わっている」と言われますが、この名前にした理由は、私が好きな言葉だからです。
感謝の気持ちを遠回しにさりげなく伝えるこの言葉は、高齢者ほど良く使うというイメージがあります。「お年寄りの生きる知恵」といったところでしょうか。
あいさつ代わりにも使えるこの言葉は、考えてみれば、英語をはじめとする外国語には正確に該当する言葉が無いように思います。日本人独自の概念なのかもしれません。

「もったいない」という言葉が海外に紹介され話題となりましたが、「おかげさま」も同じくらい、日本人の日々感謝を伝え合い和を大事にする精神が表れた、素晴らしい言葉であると思います。

ただ残念ながら、この言葉は若い世代になるほど使われていない印象があります。

そこで僭越ながら、この言葉と言葉の持つ理想を、世の中へ広めたいとの願いから事務所の名前とさせて頂きました。皆が「おかげさまで」と口癖のように言うようになれば、感謝の連鎖が広がり人間関係ももっと良くなって行くのではないでしょうか。「okagesama」がそのまま英語の辞書に載る日を、私は夢見ています。

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