
【前編】介護経営を守る「最強の盾」 ~労働契約の基本と「36協定」の落とし穴~
おかげさまです、武田です。
介護現場において職員は大切な「財産」ですが、退職後に残業代を請求されるなどの労務トラブルは、経営者のコストを激しく消耗させます。「うちはアットホームだから大丈夫」という過信は捨て、弁護士視点での「守りの労務」を押さえておきましょう。
労働契約とは「約束」のセットである
事業所が職員を雇う場合、「労働契約」が結ばれます 。この労働契約の正体は、事業者と労働者の間で交わされる「労働の提供」と「賃金の支払い」という2つの大きな約束です 。単なる合意にとどまらず、法的な権利と義務が発生する「契約」であることを再認識する必要があります 。つまり、お互いに約束を破ると法的にペナルティを受けることになるということです 。 職員は、給与を受け取る代わりに、事業主の指揮命令に従って誠実に働く義務を負います 。事業主は、労働の対価として、あらかじめ決めた賃金を支払う義務を負います 。この約束の上に成り立っている関係です 。

事業所側は労働契約の内容を実現するために、使用者側が特定の行為を従業員に命ずる権限である「業務命令権」を持ち、例えば労務提供に関する指揮命令ができます 。また、労働者の採用、配置、異動、人事考課、昇格昇進、降格、休職、懲戒、解雇など、労働者の地位や処遇に関する決定権限としての「人事権」も持っています 。職員に対して権限を持っているため、事業所は相応の基本給だけでなく、夜勤手当、資格手当、処遇改善加算に基づく手当などの支払いもしなければいけませんし、たとえ経営難であっても予め約束した賃金は支払わなくてはいけません 。 雇う方が偉くて拘束力があると言うわけではなく、雇う人と雇われる人は対等であり、相互に「権利と義務」があるということを忘れてはいけません 。
仕事をしていれば誰しも耳にする労働基準法ですが、雇用者でも労働者でもこの法律が絶対に関係してきます。労働基準法を知っておくことは、労務問題を回避する基本となりますので、ぜひとも重要なポイントだけは押さえておきましょう。
●労働基準法の「最低基準」としての役割
そもそも労働基準法は、労働条件に関する最低基準を定めた法律です 。この法律の最大の特徴は、たとえ労使間で合意があったとしても、それを上回る「強制力」を持っている点にあります。 事業主はこの基準を理由として、労働条件を低下させてはならないことはもちろん、さらなる向上に努める義務があります 。

労働者が人間らしい生活を送るために、以下の項目について最低限守るべき基準を定めています 。
・労働契約・賃金
契約の結び方や給与支払いのルール 。
・労働時間・休憩・休日
過度な長時間労働を防ぐための制限 。
・年次有給休暇
心身の定期的リフレッシュのための休暇付与 。
・災害補償
業務上の事故や怪我に対する補償
・就業規則
職場全体の統一的なルール作り 。
●強力な「合意を打ち消す効力」
労働基準法には、私法上の合意(個別の労働契約)を無効化する強力な効力があります。
労働基準法の基準に達しない労働条件を定める労働契約は、その部分において無効となります 。無効となった部分は、自動的に労働基準法で定める基準と同じ内容になります 。
例えば、職員が「今は人手不足で大変だから、私は残業代はいりません」と合意し、書面に署名したとしても、その合意は無効です。事業主は法律に基づいた割増賃金を支払う義務を免れることはできません。
●経営者が果たすべき「具体的な義務」
労働基準法は、事業主に対して単に基準を守るだけでなく、以下の事務的・制度的な対応も義務付けています。
・労働条件通知書の交付義務
採用時に必ず書面で条件を明示しなければなりません 。
・賃金支払い・有給休暇付与義務
正確な賃金の支払いと、権利が発生した職員への有給付与は必須です 。
・就業規則の作成と届け出義務
常時10人以上の労働者を使用する場合、作成と労基署への届け出が必要です 。
・帳簿の作成義務
「労働者名簿」や「賃金台帳」など、法定帳簿を正しく作成し、一定期間保存する義務があります 。
「時間外労働」を適法にする唯一の鍵「36協定」
労働基準法では、労働時間は原則として「1日8時間・週40時間」までと定められています が、急な欠勤への対応や利用者の容態急変など、介護現場ではこの原則を守ることが困難な場面が多々あります 。この「原則」を超えて残業(時間外労働)をさせるために、絶対に避けて通れないのが 36協定 です 。36協定とは、労働基準法第36条に基づく「時間外・休日労働に関する労使協定」のことです 。 本来、法定労働時間を超えて働かせることは違法であり、罰則の対象となります 。しかし、36協定を締結し、労働基準監督署に届け出ることで、その範囲内であれば残業させても処罰されないという「免罰的効力」が得られます 。 職員と口頭で「残業をお願いね」と合意していても、36協定の届出がなければ、それは直ちに法律違反となります 。
介護経営者が押さえるべき「36協定」の義務と上限規制
介護現場で法定労働時間を超えて職員を働かせるためには、単に協定書を作るだけでは不十分です 。法律(労働基準法第36条)に基づいた適切な手順と、上限ルールの厳守が求められます 。
まず、36協定を有効にするためには、以下のプロセスが必須です。
適正な代表者との締結
労働者の過半数で組織する労働組合、または民主的な手続き(投票や挙手など)で選出された「労働者の過半数代表者」と書面で締結しなければなりません 。
労働基準監督署への届出
協定は、管轄の労働基準監督署へ届け出て初めて法的な効力(残業させても処罰されない免罰的効力)を発揮します 。
職員への周知義務
締結した内容は、事業所内の見やすい場所に掲示するなどして、職員がいつでも確認できるようにしておく義務があります 。
36協定を結んでいても、無制限に残業させられるわけではありません 。働き方改革関連法の施行により、現在では厳格な上限が設けられています。
原則的な上限
残業時間は原則として「月45時間・年360時間」以内と定められています 。
特別条項
予期せぬ急激な欠員や容態急変など、臨時的に限度時間を超える必要がある場合に備え「特別条項」を付加できますが、これにも以下の「絶対的な上限」があります。
- 年間の残業合計は720時間以内 。
- 2〜6ヶ月の平均がいずれも休日労働を含んで80時間以内 。
- 単月では休日労働を含んで100時間未満 。
また、これらの義務や上限に違反した場合、悪意の有無にかかわらず「6ヶ月以下の懲役または30万円以下の罰金」などの刑事罰を科せられる可能性があります 。また、是正勧告による社会的信用の失墜は、深刻な採用難を招く大きな要因となります。

「後編」では現場の休憩ルールや雇用契約書について解説します
前編では、労働基準法の強制力と、時間外労働を適法に行うための「36協定」の厳格なルールについて解説しました。 続く「後編」では、より日常的な「現場の運用」に潜む法的リスクに焦点を当てます。「休憩時間中のナースコール対応」は労働時間になるのか?といった休憩ルールの落とし穴から、タイムカードによる勤怠管理のリスク、そして将来のトラブルを防ぐ「雇用契約書」の実務について詳しく解説します。ぜひ後編も合わせてご覧ください。
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弁護士武田 竜太郎
2006年司法試験合格。外資系の弁護士事務所で約7年間、企業法務(M&Aやベンチャー支援など)に従事。企業買収を通じて会計への関心を深め、都内の不動産会社に転職し、社内弁護士として法務部門の立ち上げに携わる。勤務と並行して会計を学び、公認会計士試験に合格。
2025年に初任者研修修了。企業法務・M&A・会計の知識と経験を活かしながら、現在は介護・福祉分野の事業所支援に注力している。











