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認知症のご利用者に嚙みつかれた… ご家族に報告すべき?
介護・福祉業界で発生するトラブルには、職員が被害者になるものもあります。中でも悩ましいのは、加害者である利用者が認知症や知的障害、精神障害である場合です。利用者本人に謝罪や賠償を求めることはできず、被害に遭った職員からすると、やりきれない想いは残るでしょう。そんな時、事業所としてはどのような対応をすべきでしょうか。ある施設で発生した職員の事例を基に解説します。
業務中に利用者に噛みつかれた職員
顧問先の介護施設で働いていた職員Aさんが食事介助中に、認知症のご利用者から腕を噛まれ怪我をしました。幸い怪我や感染症の危険性はありませんでした。介護中に噛みつかれたり引っかかれたりすることは介護現場ではたまにあることですが、今回は理事長から「折り入ってお伺いしたい」とのことでご連絡を頂きました。
聞くところによると、怪我をしたAさんは外国人(特定技能)で、噛まれたことがショックで納得できないと直談判されたそうです。理事長は「よくあることなので仕方ない」と思いつつも「こういう場合は一旦ご利用者のご家族に事実をお伝えすべきだろうか」と思ったそうですが、その考えが正しいのかどうか判断がつかず、顧問弁護士である当事務所へご相談頂いたという流れでした。
「いや先生、自分もこいういう場合はご家族に報告したところで何も進まないことは分かっているんですよ。認知症ですから注意したり責任を問うたりする訳にもいきませんしね。ご家族に報告することで、却って『そんな風に抵抗させるスタッフの対応に問題があるのではないか』等と追及されて藪蛇になったり、逆に『うちの父がすみません』と過度に恐縮させることになったりしないかなと思いまして。当然、家族の気持ちとしても傷つくでしょうしね。こういう現場の出来事は大抵施設内で飲み込んできたものですから、職員から訴えがあったのも初めてなので困惑してしまって…」

理事長は率直に今のお考えとお気持ちを話して下さりました。 読者の皆様も考えてみて頂ければと思いますが、法人としてどう対応すべきでしょうか。
家族への報告は一応しておきましょう
ご相談を受け、「利用者家族に連絡し、少なくとも起きたことを伝えるべき」と回答しました。
法的には、ご利用者が認知症等で責任能力が認められない状態であれば責任は負いませんが、そのような場合でも念のため報告しておいた方が良いという判断です。理由は主に3つあります。
理由1 コンプライアンス上の配慮
雇用主である法人は、職員全員に対し安心・安全に勤務できるよう職場環境を整備し安全に配慮する義務があります。これは確かに「法人が」負うものであり、現場にいない利用者家族が責任を負うものではありません。しかし、認知症利用者が危険の元であることは確かなので、その危険を除去する義務が法人にはあります。だからといって即退去を求める訳にもいきませんが、まずは家族に事実を知って頂き、場合によっては向精神薬の調整など医療的アプローチを検討頂くという話もしておいた方がよいでしょう。被害状況を把握していながら対外的に何もしないとなると、先々もしエスカレートするようなことがあれば「なぜもっと早く家族に相談し解決しようとしなかったのか」と問われかねません。
理由2 リスクマネジメント
先の理由と重複しますが、この先もし更に大きな被害が生じたとき、起きる前の段階で何らかの予防策を講じておかなければ「その被害が予見できたにも拘わらず予防策を講じなかった」として安全配慮義務違反の責任を負うことになる可能性があります。勿論、内部的対処、すなわち現場での再発防止策を講じることは必須ですが、毎回警戒しながら介助する訳にもいかず、限界があるでしょう。雇用主としては、退去という根本的解決も視野に入れ、できる限りの手を打つべきといえます。たとえ進展が見込めないとしても、ともかくもご家族に相談してみることで「危険回避のための努力をした」という実績が積み重なります。当然、ご家族との面談結果は記録しておきましょう。
最悪の事態を想像すると、例えば噛まれた職員が驚いて利用者を突き飛ばし、利用者を怪我させてしまうかもしれません。そうなると正当防衛の成立も認め難く、業務上過失致傷罪や傷害罪や身体的虐待が成立してしまいます。そのとき、ご家族に「実は前々から介護拒否がありまして…」等と打ち明けるのでは遅すぎます。
理由3 職員を安心させる
今回のように被害にあった職員が法人に対応を求めている場合、その思いに「応えようとする」ことが何より重要です。結果として「応える」必要はなく、「応えようとする」こと、つまり姿勢を見せるだけで十分です。Aさんは法人にとって大切な仲間、戦力です。怪我をしたAさんは、雇用主である法人の対応を見ています。対応が適切であれば、結果はどうあれAさんは「守ってくれている」と安心でき、もっと頑張ろうという意欲が湧くでしょう。ダイレクトな解決策はAさんをこの利用者の担当から外すことですが、人材不足の折、直ちには難しいかもしれません。少なくとも腕を防護する医療用のガードの様のものを装着したり、極力二人体制で介助したりする等、現場でもできる限り手を尽くします。その上でご家族にも「ともかくも話してみる」と伝え実行できれば、Aさんとしても納得しやすいのです。
雇用主でもある法人の姿勢次第で、働き手の気持ちも変わってきます。人材不足の昨今、今いる人材を守ることも重要な経営課題となりました。今回の件で信頼を得られれば、この後Aさんは大成して、施設長にまで育つかもしれません。「よくあること」で流してしまわず、適切に対応することが安定経営に繋がります。

以上の理由から、ご家族と面談の機会を設け、本件の顛末を簡潔に報告すると良いでしょう。感情的になってしまうおそれがあるため、職員Aさんを同席させる必要はありません。また、本件の顛末報告書を作成しても良いですが、あまり仰々しくする必要は無いと思われるようでしたら必須ではありません。また、ご家族に謝罪を求めるというのも筋違いですから、「今回怪我には至りませんでしたがこのようなことがありましたことをご報告させて頂きます」と穏やかに伝え、その上で再発防止につき何かいい手は無いか相談したりご意見を求めたりすると良いものと思います。
職員に慰謝料は支払うべき?
これとは別に、職員に対して慰謝料など何らかの補償をすべきでしょうか。結論からいうと、今回は、怪我はなかったので支払い義務はありません。慰謝料は確かに「精神的苦痛」に対するものですが、飽くまで客観的に認定できる診断や治療を要する怪我をしたことが前提となります。もし法人判断でいくらか払うと決めたときは、そのルールが他の職員全員にも適用されることに注意が必要です。当然ながら、Aさんだけを優遇することになってはいけません。
もし職員が怪我をした場合は、利用者のご家族に「このようなときに適用される保険に入っていないでしょうか」と尋ねてみるとよいでしょう。知的障害の利用者が対人損害を生じさせたときに使える保険があるようです。

このように、弁護士は法的リスクを勘案しながら最善策をアドバイスすることに長けており、当事務所は特に本件のようなイレギュラーな事態に臨機応変に対処することが得意です。経験があり業界について精通した弁護士であれば、二手、三手先も見通した上でアドバイスを迅速にすることができます。
当事務所は介護・福祉・医療分野に特化した弁護士法人として、全国の顧問先様のご支援をしております。何かあればいつでも、お気軽にご相談ください。
当事務所では、少しでも現場でお役立ていただけるよう、コラムにて様々なトラブル対応に関する情報を発信しておりますので、ぜひ活用ください。

弁護士外岡 潤
弁護士法人おかげさま 代表弁護士(第二東京弁護士会所属)
2003年東京大学法学部卒業後、2005年司法試験合格。大手渉外事務所勤務を経て2009年に法律事務所おかげさまを開設。開設当初より介護・福祉特化の「介護弁護士」として事業所の支援を実施。2022年に弁護士法人おかげさまを設立。
ホームヘルパー2級、視覚ガイドヘルパー、保育士、レクリエーション検定2級の資格を保有。







