
目次
最近の介護事故裁判例(転倒編)
IT機器の活用で明暗が分かれる
介護施設における転倒事故は残念ながらよく発生する事故であり、最悪の場合はご利用者の死亡に繋がります。転倒事故に関する裁判も頻繁に発生しており、事業所側は責任を果たしていたのか、転倒の予見はできなかったのかなどが争われます。
転倒による怪我や死亡が発生した場合、少なくともご利用者は被害を被っているため、事業所側がその責任を完全に免れることはできないといえるでしょう。本来は事故が発生しないようにすることが望ましく、出来る限りミスやリスクを減らすことが求められます。特に昨今はIT技術の進化に伴い、介護現場でもIT機器やデジタサービスが活用されてきていますが、これらは業務効率化だけでなく現場の転倒予防、安全確保にも一役買っていることをご存知ですか。
本コラムでは、最近の転倒事故の裁判例をもとに、事故防止におけるIT機器活用の可能性とリスクについて解説します。
自力でトイレに行こうとして転倒したご利用者
令和6年2月28日、高松地裁の判決です。
ご利用者のAさんは要介護2で、脳梗塞の後遺症による左半身の麻痺があり、日常生活では車椅子を使っていました。自室のトイレに行く際は職員の介助を必要としていました。
ある日、食事を終え自室に戻ったAさんは、いつものようにトイレに行こうと思いました。トイレに行く際はナースコールで介助を依頼することになっています。1回目のナースコールをした際、職員は他に優先する業務があったためAさんに「待っていてください」とお願いしました。それから15分ほど経過しても、職員は来ませんでした。
この時施設にいた職員は、人員配置基準を満たす人数ではあったものの、Aさんよりも緊急性の高いご利用者への対応に追われていました。普段からAさんに待っていただくことがあり、特に緊急性は無いと判断し、Aさんに待っていてもらうように声掛けをしたのです。

しかしAさんは、自力でトイレに向かい用を足す準備を始めました。車椅子から便器まで自分で移動しようと動いた時、Aさんは転倒してしまったのです。転倒したAさんは助けを呼ぶために声を出し、それを聞いた別の職員が駆けつけて対応しました。

骨折や意識障害などは無かったため、Aさんを救急搬送はせず職員が付き添って病院へ向かい治療を受けました。病院での診察を終えたAさんは施設に戻りましたが、それから数日後、Aさんの容体は急変し、搬送先の病院にて左急性硬膜下血腫、脳挫傷と診断されました。治療のために入院となりましたが、頭部外傷による急性硬膜下血腫によりお亡くなりになりました。
後に、この事故について遺族が訴えを起こし裁判が行われました。「転倒防止義務違反の有無」と「救急搬送義務違反の有無」について争われましたが、後者は認められず、前者が認められました。結果的に請求額4480万に対し2724万が認容されました。
Aさんの状況を他の職員に知らせられなかった理由
筆者の経験と知識に基づく印象ですが、こうした施設内での転倒裁判では職員同士のフォーメーションやチームワーク等が主な争点となることは今までありませんでした。しかし、本件は「15分待たされ、しびれを切らしたご利用者が動き事故に至った」という特徴があり、もしこれほど待たせなければ予防できたのではないか、という点で正に職員の配置や連携が問題となってきます。
実際の判決文では、これから記すようなことは主要な論点として書かれていないのですが、他施設における現場の工夫や導入事例から筆者が「こうすれば防げたのではないか」と思うことを解説していきます。
Aさんからのナースコールを受け取った職員は「待っていてくださいね」と伝えたものの、Aさんの状況を他の職員に伝えられていませんでした。本来は、Aさんからナースコールがあった時点で、自分が対応できない場合は他の職員へ対応を依頼するなどするはずです。
それが出来なかった理由は、職員同士の連絡をPHSで行っていたからです(この事実は、判決文にも記されています)。
PHSは昔からある便利な道具ですが、コールを受けるとピリピリと発信音がなり、まずPHSをポケットから取り出して受信ボタンを押さなければなりません。これを耳にあて通話しますが、その間片手が塞がってしまいます。更に、自分が動けない場合は他職員の番号を探しコール、都度お互いに同じことをしてやり取りすることになります。慌ただしいコアタイム等では、特に面倒に感じられるでしょう。
加えて本件では、日常的にAさんにはトイレを待ってもらっていたこと、15分ほどであればトイレを我慢できていた(と職員達は思っていた)ことから、緊急性を要するという判断がなされなかったことも、すぐに他の職員へ連絡をしなかったことに繋がったといえます。

もしもインカムを利用していたら?
裁判所は具体的に指摘してはいませんが、「インカム」という道具があります。
もし施設がインカムを導入していたならどうでしょうか。
まず着信に応答するには、人差し指でヘッドセットのボタンを押せばその後はハンズフリーで通話できます。通話を終え、再度操作すれば他のインカムを身に着けている職員全員に繋げて話すことも可能です。そうすれば、個々の職員がどれだけ離れていても
「今排泄介助中で手が離せませんが、あと5分で対応できそうです」
「近くにいるので私が向かいます」
など、効率的なやり取りが可能となります。
インカムの利用があれば、ナースコールがあってからより短時間で駆けつけられ、その結果事故を防げた可能性もあるのです。
さらに、インカム通話履歴を自動で録音し文章化することも今の技術では可能なので、もし「本当に全員が手一杯で対応できなかった」としても、当時のやり取りを証拠として提出することでそのこと(結果回避可能性といいます)を立証することができるでしょう。
PHSはリーダーに連絡が集中し、他職員に振り分け辛いという欠点もあるため、一人にタスクが集中し焦る結果になりがちということもあるでしょう。インカムで全職員を繋ぎ「見える化」することで、「あの人はさぼってばかりいるんじゃないか」といった疑惑を晴らすこともできチームワークの向上も期待できます。物理的に中・遠距離から大声で呼ぶといったことも不要になり、イライラも減るのではないでしょうか。

インカム利用のメリット&デメリット
しかしながら、インカムがあれば万事上手くいくわけでもありません。何事にも一長一短あります。
インカムを使いやり取りを録音できるサービスも利用していたとしたら、職員の連携がしやすくなる半面、全てのやり取りが録音されて記録に残ります。万一の時に証拠として活用することができますが、事業所側に瑕疵がある場合は、自分たちの非を認める証拠が残ることになります。裁判所側が事業所に対して厳しいスタンスを取る場合は逆風となる可能性もあります。職員としても、四六時中記録され見張られていると思えば気の休まるときも無い…というストレスになってしまうかもしれません。
IT機器やデジタルツールごとにメリットとデメリットがありますので、事業所の業務との兼ね合いや職員への説明の仕方、導入手順をしっかり考えていく必要があります。

介護福祉現場のトラブル予防・解決は顧問弁護士がお支えします

裁判になるということは問題がある意味「最悪」の事態に至り、最終的な判断を裁判所に委ねることになりますが、想像以上の労力と時間、費用がかかるものです。
本来は裁判沙汰にならないことが望ましいことは確かです。弁護士は問題が発生してからが出番と思われるかもしれませんが、実は問題を発生させない、問題の芽を摘むという場面も出番であると考えております。弁護士法人おかげさまは介護弁護士として、問題を未然に防ぐお手伝いもしております。顧問弁護士サービスをご用意しておりますので、ぜひご覧ください。

弁護士外岡 潤
弁護士法人おかげさま 代表弁護士(第二東京弁護士会所属)
2003年東京大学法学部卒業後、2005年司法試験合格。大手渉外事務所勤務を経て2009年に法律事務所おかげさまを開設。開設当初より介護・福祉特化の「介護弁護士」として事業所の支援を実施。2022年に弁護士法人おかげさまを設立。
ホームヘルパー2級、視覚ガイドヘルパー、保育士、レクリエーション検定2級の資格を保有。









